ナージェ’s blog

ありきたりなこと

歌詞徹底考察 欅坂46ラストシングル『誰がこの鐘を鳴らすのか?』ヘミングウェイ著『誰がために鐘は鳴る』を軸に考察

お久しぶりです。

多忙な毎日のせいで全然ブログ書けていませんでしたが、今回色々感じたことがあったので文字に残したいと思います。

未だに『黒い羊』までの考察が終わっていませんが時間ができ次第書きたいと思っているのでよろしくお願いします。

 

では、早速考察していきましょう。

 

ep.9『誰がその鐘を鳴らすのか?』

f:id:naje58:20200726081633j:image

 

まず、前提として。

今回考察するにあたって、

ヘミングウェイ

 

誰がために鐘は鳴る

 

という作品のサンプリングという軸で進めていきます。

理由として。

私自身の読了感想として抱いたヘミングウェイの作品のイメージと欅坂さんの歌詞の内容がリンクしていることが一点。(具体的に後述します。)

作詞をしている秋元康さんがヘミングウェイがおそらく好きだという点。

秋元傘下のグループには度々ヘミングウェイが登場します。

私が知る限りでは、

欅坂46の楽曲

『日が昇るまで』は、ヘミングウェイ

日はまた昇る』という作品に似ていますし

乃木坂46の楽曲

バレッタ』や『図書室の君へ』は、

その歌詞中に登場します。

また、けやき坂46(現日向坂46)の主演ドラマ

『Re:Mind』

では、「何を見ても何かを思いだす」という言葉が作中に登場します。

これはヘミングウェイの未発表短編集のタイトルとして用いられています。

あと考えられる理由としては、単純にタイトル似ているからですかね(笑)

f:id:naje58:20200726082037j:image
f:id:naje58:20200726082033j:image
f:id:naje58:20200726082041j:image

 

まあこれだけ理由があればサンプリング軸として考えるのも不思議ではないでしょう。

以前も申し上げましたが私見ですのでね。

悪しからず。

 

さて、先のサンプリング説採用理由もそうですが本格的に考察に行く前に説明しなければいけないことが山ほどあります。

そうしていくと今度は、

 

誰がために鐘は鳴るってどんな内容?」

 

ということでしょう。

実は「誰がために鐘が鳴る」という言葉はヘミングウェイが考えたわけではなく、ジョン・ダンの言葉をそのまま引用して作品のテーマとして昇華していたのです。

内容の説明のためにジョン・ダンの本文を引用させていただきます。

いまや穏やかな響きを立てて、鐘が私に言う
  「汝は死せねばならぬ」と。

  多分、鐘の鳴る音を聞いている人は、あまりにも弱っているために、それが自分のために鳴っていることを知らないかもしれない。そして多分、私は自分が実際よりもずっと元気だと思い込むあまりに、私の周りにいて、私の様態を伺っている人たちが、私のために鐘を鳴らせていることを知らずにいるかもしれない。

  教会は普遍的であり万人のためにある。その行為は万人のためだ。すべて教会のなすところは万人に帰属する。だから教会が幼児を洗礼するとき、私は深い関心を抱く。何故ならそのことによって幼児は、私もその一部である頭脳と結合され、私と同じ一つの身体へと結び付けられるからだ。

  また教会が人を葬るとき、私はその行いに関心を抱く。

  万人は一人の著者によって書かれた一冊の本の如きものである。一人の人が死ぬとき、一つの章が本から千切りとられるわけではない。そうではなく、より良い言葉へと翻訳しなおされるのだ。すべての章がそうである。神は何人かの翻訳者をもちいてそれを行う。ある部分は年によって、ある部分は病によって、ある部分は戦争によって、ある部分は正義によって翻訳されるだろう。だが神の手はすべての翻訳に作用している。神の手はちりぢりになったページを束ねなおして図書館に収める。そこですべての本は万人の目に触れることになる。それゆえミサの席に鐘が鳴るのは、単にそこにいる人のためだけではなく、すべての人々のためである。鐘は我々すべてに呼びかける。そしていま病によって死のほうへと近づきつつある私のためにも鳴る。

  訴訟に似た論争の席上(そこでは経験と尊厳、信仰と評価とがいりまざっていた)、朝のミサに際して誰が最初に鐘を鳴らすべきかが論議された。その結果、最も早く起きた者が鳴らすべきだと決定された。

  もし我々が、祈りに際して鳴らされるこの鐘の尊厳を正しく理解するならば、朝早く起きてそれを自分で鳴らしたいと思うだろう。そうすることによって、鐘は自分自身のためにも鳴り、また他者のためにも鳴る。そうだ、その鐘は他者のために鳴り響く。聞いた人はその音を自分のために鳴っているのだと受け止める。そしてそのことを通じて、彼は神に結ばれる。

  太陽が昇るときに、目を上げて見つめない者がいるだろうか。彗星が現れたときに、目をそむける者がいるだろうか。節目節目に鳴らされる鐘の音に、耳をそばだてないものがいるだろうか。鐘の音が自分の魂をあの世へと運んでいってくれることを、望まない者があるだろうか。

  何人も孤立した島ではない。いかなる人も大陸の一片であり、全体の一部である。一塊の土くれが海に洗い流されても、ヨーロッパがもとの姿を失わないように、あなたの友人あるいはあなた自身が洗い流されたとしても、それが無に帰するわけではない。・・・

  だがいかなる人の死も、私の一部を失った気にさせる。なぜなら私は人類の一員なのだから。

  それ故私はあなたがたに言いたいのだ。あえて知ろうとするには及ばない、誰がために鐘は鳴るのかと。それはあなた自身のためにも鳴っているのだから。

 

ジョン・ダンは司祭でしたから、宗教的側面から「死への救済」包含して「魂の救済」をテーマにしていました。

誰がために鐘は鳴る』は、

 

「なんぴとも一島嶼にてはあらず」

 

という書き出しで始まります。

我々は小さな島々に生きているわけですけれども、同じ地球という星に共に生きていること。人間という種の塊として共に生きているのだと。

 

だから、死者を知らせる鐘が聴こえても誰の死を知らせているのか尋ねてはいけない。

それはつまり、自分自身のために鳴っているのだからというのです。

誰かの死は自分自身の一部がなくなっているのと同じなのに、

「誰の為に鳴ってるの?」と聞くのは愚問ですし、とても他人行儀ですよね。

 

ヘミングウェイは作品を通して、

自分本位の行動するのではなく、

もう少し客観的に捉えて

他人にもっと関心を持とうよ。

優しくなろうよ。

そんな内容の本なので欅っぽさムンムンですよね。

 

作品自体はスペインの内戦にゲリラ的に参戦して〜

ファシストvs共和派の〜

そこで出会った男女の恋愛〜

みたいな難しい内容なんですが、これが思ったよりサラッと読める。

興味がある方は是非一読してみることを強くお勧めします。

 

余談なんですが、ヘミングウェイの作品って男女間の心理や生理描写に引き込まれるんですよね。(人間味溢れる言動みたいなもの)

ヘミングウェイ自身は男性のはずなのにむしろ女性を描いている方がリアリズムを感じるんですよね。

あれなんでなんだろ。

一つ自分の中の解としては、

男女の性の壁(考え方とか感じ方の違い)があるからこそ、

ヘミングウェイ自身が女性が

どう考えるか、どう思うかに関心を持って理解しようと努めていたからだと思うのです。

それってまさに『誰がために鐘は鳴る』の真髄で、

だからこそ、ここまで読ませる作品になっているのではないのかなと思いました。

 

脱線してきてしまいましたね。すみません。

それでは、基礎状況を確認したところで本格的に歌詞の考察に参りましょう。

それでは歌詞から。どん。

 

耳を澄ますと聴こえて来る
色々な声や物音
人は誰もその喧騒に
大事なものを聴き逃している

ねえ ちょっと静かに…
ほんの少しでいいから
自分の話じゃなく 他人の話 聴いてみて欲しい
冷静になろうって
合図をくれればいいのに…

もし地球上の片隅に
巨大な鐘があったのなら
世界中のどこにいても
聴こえるのに…

争いごと 起きそうになった時
あーあ あーあ
知らせてあげよう 言葉ではなく
誰でもわかるように
心に響かせるんだよ

だけど問題は
誰がその鐘を鳴らすのか?
この世の中に神様はいるのかい?
会ったことない
その綱を奪い合ってたら
今と何も変わらないじゃないか
そばの誰が誰であっても鳴らせばいいんだ
信じるものが たとえ違ってても
そう平等に…

一番高い山の上
巨大な鐘を吊るせたなら
風に乗って海を越えて
届くだろう 誰かに

悲しみに 俯いてしまったって
あーあ あーあ
語りかけよう どこかできっと
あなたを心配してる
味方がいるってことだよ

愛の救世主
誰がその鐘を鳴らすのか?
そんな重たい責任を持てるかい?
逃げたいだろう?
その綱の大きな権力を
逆に誰も握ろうとするかも⋯
鐘を鳴らせる主導権なんか
意味はないんだよ
支配したって 幸せになれない
愚かなことだ

瞳を閉じて 聴いてごらんよ
自分の言いたいことを
声高に言い合ってるだけだ
際限のない自己主張は
ただのノイズでしかない
一度だけでいいから
一斉に口をつぐんで
みんなで黙ってみよう

Wo oh oh oh oh oh oh…

僕たちの鐘はいつ鳴るんだろう?

だけど問題は
誰がその鐘を鳴らすのか?
この世の中に神様はいるのかい?
会ったことない
その綱を奪い合ってたら
今と何も変わらないじゃないか
そばの誰が誰であっても鳴らせばいいんだ
信じるものが たとえ違ってても
そう平等に…

Wo oh oh oh oh oh oh…

Source: https://www.lyrical-nonsense.com/lyrics/keyakizaka-46/dare-ga-sono-kane-wo-narasu-no-ka/

 

先述した『誰がために鐘は鳴る』の内容がわかればすっと歌詞が入ってくるのではないでしょうか。

 

ここではさらに補足として曲と歌詞の意味を考察していきます。

 

欅坂の楽曲は一貫してストーリー性があると思っていて、例えば表題曲。

サイレントマジョリティー』から『黒い羊』までの「僕」という主人公の『らしさ』を探す物語。

詳しくはこちらで解説していますのでご参考にしてください。

https://naje58.hatenablog.com/entry/2020/02/04/221355

 

こういった曲同士の繋がりから様々な曲を引き合いに出しますがご容赦ください。

 

まず、曲について

メンバーの菅井友香さんは

 

「この曲にはセンターがいない」

 

と仰っていましたし、

センターを置かないことになんらかの意味を持たせているはずです。

 

センターがいないこの曲の主人公である

『僕たち』とは

『黒い羊』で救われた人々や

『避雷針』の僕なのではないかと考えました。

1th〜8thまで平手友梨奈さんが演じ続けてきた『僕』への鎮魂歌だと思えば歌詞をイメージしやすいと思います。

 

そして、パフォーマンスを見る限りフロントメンバーとしてセンター的ポジションに近いのは、

小林由依さんと渡邉理佐さん。

 

『黒い羊』の作中で平手さんに救われる代表の小林由依さん。(ライブパフォーマンスでは特に。曲の最後に小林さんに花束を持たせて終わるというシーンもあるぐらい。)

『避雷針』の作中では、平手さんの避雷針として位置している渡邉さん。(こちらもライブパフォーマンスより)

 

この2人がフロントであることはまさにこの説の象徴と言え、

センターがいない理由として納得できるのではないでしょうか。

 

サビまでは『誰がために鐘は鳴る』の内容から素直に解釈できます。

他人に関心を持とう。優しくなろう。そんな感じ。

ここまでは、乃木坂の

 

シンクロニシティ

 

と内容がほぼ同じ。

f:id:naje58:20200810050147j:image

歌詞も

きっと
誰だって 誰だってあるだろう
ふいに気づいたら泣いてること
理由なんて何も思い当たらずに
涙が溢(こぼ)れる
それは
そばにいる そばにいる誰かのせい
言葉を交わしていなくても
心が勝手に共鳴するんだ
愛を分け合って
ハモれ

 

泣いてる人のために
僕もどこかで
何も気づかず そっと涙流したい

 

鐘が鳴って誰もが感情を共鳴できたならそれはきっと理想的な世界。

それを信じて疑わない乃木坂姉さんの楽曲。

素敵すぎる。

 

だけど問題は
誰がその鐘を鳴らすのか?

 

この着眼点に辿り着ける欅坂がすごい。

神様が手綱を握っている訳ではないなら一体誰が鳴らすのだろう。当然の疑問です。

結論から言えば誰でもいいのです。

気がついた人が鳴らしてあげたらそれで。

鳴らすこと自体に意味はないのですから。

 

だけど問題は
誰がその鐘を鳴らすのか?
この世の中に神様はいるのかい?
会ったことない
その綱を奪い合ってたら
今と何も変わらないじゃないか
そばの誰が誰であっても鳴らせばいいんだ
信じるものが たとえ違ってても
そう平等に…

 

しかし、鐘を鳴らすことを目的とする人もいる。

例えばニュースなどの報道。

(別に悪意はないですよ)

仕事として利権を握る。

そこに本来としての意味はなく、

その利権を奪い合っていたら今と何も変わらない。

どんな人でも平等に鳴らしてもいいのだ。

というサビですね。

 

そして2サビ。

正直ここが1番凄いと思いました。

めちゃくちゃ欅色強いです。

 

愛の救世主
誰がその鐘を鳴らすのか?
そんな重たい責任を持てるかい?
逃げたいだろう?
その綱の大きな権力を
逆に誰も握ろうとするかも⋯
鐘を鳴らせる主導権なんか
意味はないんだよ
支配したって 幸せになれない
愚かなことだ

 

鐘を鳴らす権利は皆平等であるはずなのに、

なぜ重たい責任になるのでしょうか?

逃げたくなるのでしょうか?

 

その答えは『鳴らされる側』に視点を向けるとわかりやすいかと思います。

例えば自分とは異なる境界にいると思っている、

『不協和音』

『黒い羊』

『エキセントリック』

のような、

自分にとっての絶対悪な相手に悲報があったとして、

果たして自分本位の人々は鐘を鳴らしたいと思うでしょうか?

むしろ、鐘の音を聞こうともしないのではないでしょうか?

 

さらにそんな相手の鐘を鳴らす人を見れば、

「お前もあいつの味方なんて変わり者だな」

「黒い羊だ!」

なんて後ろ指を指されるかもしれません。

 

『僕たち』には重すぎる権力かもしれないけれど、

それでも鳴らします。

なぜなら、

 

『黒い羊』の君が周りの羊を助けるためにわざと悪目立ちして厄介者でいる「フリ」をして、

「らしさって一体何?」

とそんな自分に嫌気がさして角を曲がってしまったことを知っているから。

「そんな不器用さを守るには
僕がその盾になるしかない」

そう、ここにあるのは

      「愛の避雷針

f:id:naje58:20200812035206j:image

 

一見、

「鳴らす側」の平等なのかと思いますが、

「鳴らされる側」の平等でもあったわけですね。

そんな相互の思いやりの気持ちを『愛』と呼ぶなら、

 

「愛の救世主」=「愛の避雷針」

 

と言えると思います。

 

そしてラスサビ。

 

僕たちの鐘はいつ鳴るんだろう?

 

ここまで、

誰もが平等に鳴らしたり鳴らされたりするべきだと説いてきたわけですけれども、

そんな

『僕たち』の鐘はいつ鳴るのだろう?

という不安が伝わってきます。

そう思うと1番と同じサビのはずなのに、

 

「僕たちにも鐘を鳴らしてくれないだろうか」

 

そんな嘆願のような歌詞にも聞こえてきます。

 

「誰か」に優しくなろうというより、

「誰にでも」優しくなろう。

情けは人の為ならず。

そんなことを思わせてくれた素敵な曲でした。

 

10月のライブを最後に幕を閉じる欅坂46

また新しく躍進していく彼女たちにどうか加護を。

最後までご高覧いただきましてありがとうございました。

 

f:id:naje58:20200812042358j:image

 

 

「いつか綺麗な大人になれるかな」